戦国新報
 
 
平成7年 後期
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よく使われる言葉、背水の陣
これにはさすがの秀吉も軍を帰した
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 戦国時代、合戦の時、河川の付近で敵の攻撃を受ける場合、普通は河川の後方に陣取り、その障害を利用して戦いを有利にしようとする。これが一般的な合戦の仕方であった。が、前方に陣取って河川を背景にして戦う場合もあった。この戦い方を背水の陣という。
 信長の命令を受けて、羽柴秀吉が中国地方で毛利方を攻めた時のことである。鳥取城を攻め落とした秀吉は、その勢いで橋津川付近の吉川元春(毛利元就の二男)軍に戦いを挑んだ。このとき元春は、仲間の武将たちの言葉に頑として従わず、やがては橋津川の橋を落とし、味方の船をすべて焼き払い、橋津川を背に、必死のかまえで秀吉軍と相対した。これにはさすがの秀吉も、元春軍の逃げ場を失くしてまでも戦おうとする勢いに負け、戦いをやめて軍を引き返したという。
 今の世も背水の陣をもって困難に立ち向かうことで、先の展望が開けてくるのではないだろうか。
【文:高田 金道】