戦国新報
 
 
平成7年 前期
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部下を思う責任感
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 秀吉が毛利と戦った時、彼は高松城を水攻めにし、城の周囲を湖にした。高松城では食料もつきはて、城兵はただ死を待つのみという状態に陥った。
 その時、城の領主、清水宗治は、自分の首とひきかえに城兵の命を助けるという秀吉の講和条件に喜んで応じた。
 そしてみずから船をこぎ出し、敵味方の見守る中で切腹したと伝えられた。 自分の命を捨てて部下の命を救うということが、戦国の武将としてのひとつの心構えだったのだと思う。
 今の時代も、一国の首相であれば国民のために、会社の社長であれば社員のために、さらに一部の部や課の長であればその部下のために、重大なことが起こった場合は自分の命を捨てるのだという、責任者としての心意気を持たなければならないと思う。
 そうすれば部下の方も長を死なしてはならないということで長をもりたて一致団結して物事に対処するようになると思うのだが、現実はなかなかむずかしいことのようである。
【文:高田 金道】