戦国新報
 
 
平成7年 前期
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勇気と友情…
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 越前国敦賀六万石の城主、大谷吉継は関ケ原合戦の悲劇の名将として有名である。 負け戦とわかっていながら西軍、石田三成方に加勢したのである。なぜそんな愚かとも思える戦に参加したのか?それは大谷吉継と三成とは無二の親友であったからである。
 こんな話がある。ある時、大坂城内で茶会があった。癩病(らいびょう)が進んでいた吉継をふびんに思った秀吉が招いたのであろう。吉継はやや緊張していた。自分に回ってきた茶碗を口に当てた時、なにやら洟水(はなみず)のようなものが一滴、茶碗の中に落ちた。
 しまった!と吉継は気が動転した。さすがの吉継も手が震え、次席の小西行長に茶碗を回すことができない。沈黙が座を支配し、気の毒そうに目を伏せる大名もいた。
 そのとき、三成が声をかけ「吉継、その茶を渡せ。先ほどから咽がかわいて待ちきれぬ」茶碗を受け取った三成は、一息に茶を飲み込んでしまった。吉継はあやうく涙がでるところだった。
 秀吉も吉継には「百万の軍勢をあずけて指揮させてみたい」と言い、自分の側近として用いてきたことを残念がったと言う。秀吉がこれほど期待したのであるから、吉継はまれにみるほどの器の持ち主であったに違いない。 秀吉亡き後、家康とも良好な関係を続けた吉継であったが、厚い友情だけで、負けると分かっている三成に加勢したのである。
 いつの世も友情をつらぬくのは、簡単なようでなかなか勇気を必要とするようだ。
【文:高田 金道】