戦国新報
 
 
平成7年 前期
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戦国の苦悩と思いやり
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 光秀は、主人信長を本能寺で倒し逆臣と言われているが、彼を囲む近親者や部下、領民には大変評判がよく、慕う人々が多かった。
 特に光秀の領国経営は『温かみがある』と言われた。長い間、放浪生活を続け、やがて信長の家来になり、わずか八年で近江、丹波二国の国主になり所領も五十四万石になった。いかに若い時代に苦労したか、また情報力があったかということを示している。
 山崎の合戦で秀吉に討たれたとき、光秀の一族は、光秀に殉じようと決意をし、領民に迷惑をかけるムダな戦はしないと心を決めていた。城の兵は極力脱出させ、敵将が知人だと、一族の財宝を全部渡し、彼らの意志を後世に伝えてくれと頼んだ。降伏はしなかったが、一族全て自決した。
 さすがの秀吉もこの時は『あの光秀がよくそこまで部下を育てた』と感動したという。もし光秀が戦いに破れても、城に無事に戻ってこれたなら、領民は光秀を守ったことだろう。
 いつの世も人と人との思いやりが、いかに大事なことかわかるような話である。
【文:高田 金道】