戦国新報
 
 
平成7年 前期
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竹と竹千代…
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 天文十一年十二月二十六日、岡崎城主、松平広忠に待望の男の子が生まれた。のちの徳川家康である。
 若干十七歳の青年城主は家臣団を前にどういう名前を付けたらいいか尋ねたようである。政情不安の中、竹のようにしなかやかにそしてねばり強く育って欲しいと「竹千代」と名付けられた。
 杉や檜はまっすぐ空に伸びて美しい。が、台風、洪水などの自然災害にはもろい。その点、竹は風雨にさらされてもその幹が折れることもなく、また、降り積もる大雪に幹をしならせ頭を地につけていても、やがて春には雪をはらって天に戻る。そのしなやかさは節目にある。多くの節がおのおのの役割を分担し、その責任を果たしているのである。
 十四年間という人質生活に耐えしのんだ家康。そしてそれを竹の節のようにじっと見守り続けた家臣達、まさに領主、家臣が、竹のごとく耐えしのんで天下取りを実現させたようである。
【文:高田 金道】